O:オロビアンコ -orobianco-

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そのイタリアのブランドを、バッグからではなく、腕時計から知ったというのは、たぶん私くらいではないだろうか。

 

実際、バッグが発祥のようだし、世間でこのブランドのものを見るときはたいてい、バッグだったりする。イタリアの国旗のストライプが入ったリボンがアクセントになっていて、しゃれている。そのバッグを持つ男性を街で見かけると、ハイセンスな人なんだなぁ、と勝手に想像を膨らませてしまう。

 

しかし、私がそのブランドに最初に惚れたのは、腕時計を見た時だった。たぶん「PANGOLO」が最初だ。シンプルな文字盤に、ナイロン製のベルト。そして、決して安くないブランド時計にはあまり見られない、カラフルなカラーバリエーション。ひと際存在感を放っていたように見えた。

 

それから「SPIRITO」や「ORAKLASSICA」、「NOBILE」など、特徴的でかつかっこよい腕時計をいくつも発見し、虜になった。光り輝いているんだけれど、決して「俺様は高級時計だい」と威張ったような印象はなく、ギラギラもしていない。素朴でストレートな印象を、持った。

 

何年前だったか、池袋の百貨店で「RettangOra(レッタンゴラ)」を買った。orobiancoでは珍しい、四角形のフォルム。これでオトナの男に少しは近づけたんじゃないか、と自分を酔わせ、鼓舞した。まだそれほど仕事にも慣れず、テンパりながら日々を過ごしていた時期だったと思う。仕事がうまくいかないストレスを、こういうかっこいいものを買って、形から身を整えるという方法で発散させていたあたり、いま考えると短絡的だったなぁとも思う。けれど、まぁそうすることで自分の気持ちを高ぶらせて今に至るのだから、決して失敗ではなかったのだろう。

 

ある冬の日。営業で外を歩いていたら、道路に張った氷で足を滑らせ、思いっきり転んだ。左半身を下にして倒れた私の身体と道路との間に挟まれた左手首には、相棒。その顔のきれいなガラスが、思いっきりアスファルトにぶつかった。転んだ恥ずかしさはすぐに消えて、相棒を傷つけた罪悪感に変わった。あんな嫌な気持ち、二度と味わいたくない。

 

すぐに修理屋にかけこみ、ガラスを更新した。けっこうな時間を経て再会した相棒に、「もう二度と君を傷つけない」なんてラブソングの歌詞に出てきそうな言葉で誓いをたてたのも、忘れられない思い出だ。

 

N:カフェニル -Caffe Nil-

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5月にオープンしてから、毎週末必ず立ち寄っているカフェがある。かねてから、自宅近くでの自分の居場所みたいなものがあったらいいなぁと思っていた。そんななかでの奇跡の出会い。発端は、去年の大家さん企画の手作り市までさかのぼる。

 

 

自宅のすぐ隣のマンションの共用部分を使って、大家さんが定期的に手づくり市を開催する。いろいろなところに足を運び、作家さんを探し、交渉し、集める。雑貨や工芸品、焼き菓子など、様々な作品が集まる手づくり市は、オーダーメイド、ハンドメイドのものが好きな自分にとっては宝の山のよう。そんな企画に参加した際に出会ったのが、Connect coffee campany だった。ネットショップ限定のコーヒー屋さんが、イベント出店をしていた。

 

www.connect-coffee-company.com

 

そこで飲んだコーヒーが美味しくて、話をするようになった。聞いたら、行徳で近い将来カフェを開業したいのだとか。それだったら行きますよ、妙典にはそういうカフェが少なくて、なんて話をした。そんな彼女の夢が、まさかその7か月後には実現されるなんて、その時は思ってもいなかった。

 

「ゼロ」を意味する「Nil」という店名からは、いままでの経験、技術を踏まえつつゼロから挑戦する、という意気込みが感じられる。ワインレッドの壁とちょっと高めのカウンター、それから来る人みんなウェルカムと言わんばかりに開放されたオープンな店構えが素敵で、すぐにハマった。とまぁこれらの褒め言葉は後付けに過ぎない。私は店主に出会って彼女の情熱を知って刺激を受け、屈託のない笑顔にノックアウトされた、つまりは「人」から入っていったから、店の雰囲気だとか、出されるメニューだとか、そういったものは正直どうでもよかった。どうでもよかった、というと聞こえが悪いか。どうであっても、それが原因で嫌いになることはないと思うくらい、良い人と出会えたと思った。

 

この出会いをつくってくれた大家さんはオープンにあたって店主に「とりあえず目指すのは30周年だな」とエールを送ったらしい。いや、50年って言ったかな?それくらいスケールの大きいことを言う(それを言えるということは、それが実現できるとたぶん期待しているんだと思う)大家さんもかっこいいけれど、そのエールを力に変えて、毎日毎分毎秒、屈託のない笑顔を絶やさずお店に立つ店主がかっこいい。平日はほぼ行けないけれど、週末は必ず顔を出す。これがいまの自分ルール。このルールを守ることで、自分もこの店と一緒に成長し、永く価値を提供できる存在でいられたら。

 

caffe nil - コネクトコーヒーカンパニー

 

M:マルシェ -marche-

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きっかけは、勝どきで開催している「太陽のマルシェ」だったのだと思う。公園にテントを立てて、野菜やジャムなどを売る。そこにたくさんの人が集まって賑わう様子がすさまじくて、こういうのがまちづくりなんだ、こういう場所をつくることがまちづくりなんだ、と思った。失礼な話、勝どきといったら埋め立て地で、昔からあったまちではなく、ということはそこに昔から住宅地があったわけではなく、比較的新しいまちに地域コミュニティなんてないんじゃないか、と思っていた。でもそうじゃないんだということを、このマルシェに出くわしたことがきっかけで、知った。

 

timealive.jp

 

いま事務所で進めているプロジェクトが二子玉川にある。再開発エリア「二子玉川ライズ」の賑わいはすごい。駅前にはもともと高島屋があり、裏には風情のある石畳の店舗街がある。二子玉川ライズにはショッピングセンターがあり、蔦屋家電があり、と、休日はその周辺をみてまわるだけで一日が終わってしまうくらい刺激的なお店が集まっている。公園の緑や土を感じるのも気持ちよい。ただ、そうしたお店、公園といった「そこにありつづけるもの」よりも、むしろ自分の興味の対象は「そこに現れるもの」にある。「オリーブマルシェ」と遭遇して、そのことに気づいた。

 

olivejapan.com

 

オリーブオイルを売るマルシェなんて、どんだけターゲットが絞られるんだよ、と思うのだけれど、これが賑わっていて面白い。オリーブオイルにそんなに選択肢があるのか、そんなに深い世界があるのか、なんならちょっとその世界をのぞいてみようか、と思わずにはいられない。二子玉川でやるから成り立つんだ、と言い切ってしまえばそれまでだ。しかし、例えターゲットが限定されていたとしても、なにもない空間に売り手と商品が現れて場所ができ、人が集まり、賑わい、交流が生まれるというのは面白い。それがなぜなのかは自分自身よく分からないけれど。

 

そこに行きたい、と思わせる価値をつけて、何もないところが「市場化」する。売り手は自慢の商品を持ち寄り、紹介する。買い手は新しいもの、いままでにないものを求めて、そこを訪れる。売り買いが仮に成立しなくても、売り手と買い手との会話から新しいストーリーが生まれる。売り手同士、買い手同士でもありえるだろう。こうした新しい発見、新しいストーリーが生まれるような場所を、自分はつくりたかったのだ。その手法の一つが、自分にとってはコーポラティブハウスだったのだ。という、自分の夢の根源的なことを、マルシェきっかけで思い出した。

 

L:LUNA SEA

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「NO MUSIC NO LIFE」なんてかっこいい言葉を使って、自分の人生を音楽にゆだねるつもりはないけれど、それに近いくらい、自分になくてはならない音楽がここにある。中学時代に、たまたま彼らの音楽に出会えてよかった。

 

1998年の4月か。ミュージックステーションで演奏した「STORM」は、約20年経ついまも、鮮明に頭の中にその映像が残っている。ギターソロのSUGIZOがとにかくかっこよくて、何度巻き戻して観たことか。身体をくねらせながらギュインギュイン鳴らすSUGIZOと対照的に、足を大きく開いて下を向いて、黙々と木目調のレスポールシェイプギターをかきむしるINORANがとにかくかっこよくて、何度巻き戻して観たことか。HEY!HEY!HEY!でも、ポップジャムでも、FUNでも、当時いろんな番組で演奏していたのを観たけれど、あのミュージックステーションの、あの放送回のSTORMは、別格でかっこよかったと思う。映像、残っていないだろうか・・・(※)

 

2000年の年末に終幕してから空白の数年間を過ごしたけれど、その空白の期間があったからこそ、いまの興奮があるのだと思える。いま、最高にかっこいい彼らを見ることができていることが、最高の贅沢であり、1998年にミュージックステーションで彼らに出会った自分に、感謝したい。

 

 

INORAN好きなんですよね」大学時代にサークルの後輩から、なんとギターを譲り受けた。「えっいいの?」まずINORANモデルのギターを持っている彼に驚いたが、それ以上に、それをくれる彼の器の大きさに、脱帽した。当時を冷静に振り返れるいま、自分はなんて傲慢に、たいして感謝の意をあらわすことなく、先輩風をふかせながらこんな大事なギターをいただいてしまったのか、と後悔している。感謝してもしきれない大切なものを、もらってしまった。

 

ユースケ、ありがとう。いまも大事にしているよ。怖くて弦は張り替えることなくいまになってしまったけれど、たまに弾いて楽しんでるよ。LUNA SEA、いま最高にかっこいいよな。今年メジャーデビュー25周年。5月には武道館ライブが待っている。平日だから行けないけれど、彼らの誕生日をまた祝おう。INORANモデルを手に、STORMのイントロのアルペジオを弾きながら、彼らが巻き起こす5月の嵐を待つ。

 

(※)2017/10/01追記 ありました。削除されず残っていてほしい。


LUNA SEA - STORM

K:亀山薫 -Kameyama Kaoru-

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いまでこそ国民的刑事ドラマとなった「相棒」だけれど、シリーズとしてスタートした当初から、そのストーリーは格別に面白かったと思う。好きな俳優さんが出演しているから、とか、男二人が互いに協力しながら、弱点を補いながら事件を解決していくというテーマが自分の好みに合致したから、とかそういった偏見を抜きにしても、他に敵はないんじゃないか。一番最初は、昔大好きだった刑事ドラマ「はみだし刑事」が終わってしまって、「高見兵吾ロス」に陥っていた時に、新しく始まったドラマとして観はじめたと記憶している(注:調べたら、はみだし刑事が終わってから相棒がスタートしたのではなかった。シリーズ末期に相棒が始まって、交互に放送していた)。だから、「はみだし刑事」の面白さに匹敵するドラマであるはずがないというのが、正直な気持ちだったと思う。しかし不思議なもので、観始めたらどんどんはまり、特に亀山薫の熱血ぶりが、心を打った。

 

「王様のブランチ」にレギュラー出演しているかっこいい俳優さん、というのが最初のスタートだったと思うけれど、寺脇康文さんの魅力は、相棒でなければ観られないのではないかとさえ今は思う。頭脳明晰の天才、正義を追求する杉下右京の相棒として、右京にはできないことで事件を解決していく。間が抜けているところがあるから、完璧人間じゃないから、「雲の上の存在」ではない「自分もこういう男でありたい、という目標」になりうるのだと思う。

 

シーズン2(2003年)の「クイズ王」の冒頭、3問間違えると誰かを無差別に撃ちます、という犯人と戦うシーンは私にとって、シーズン15まで続いている相棒の歴史の中でも一二を争う名場面だ。一つの携帯電話に顔を寄せ合う右京と薫が、「相棒」の魅力を的確に表していると思う。

 

島根県の県庁所在地を聞かれ、堂々と「松山」と言っちゃうようであっても、いいじゃないか。江戸幕府を開いた征夷大将軍徳川家康だと分かるんだから。それよりももっと大事な、男としてかっこいいなぁと思わずにはいられない、正義を貫く姿勢を見せてくれるんだから。そのかっこよさは、円周率小数点以下第151位の数字を3秒で答えてしまう右京さんにも、ない。

 

J:アルネヤコブセン-ARNE JACOBSEN-

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ハンス・J・ウェグナーの家具に惚れた。GE290の一人がけソファからは、最高級の贅沢な時間を自宅で過ごせるのではないか、と思うほどの心地よさが伝わってくる。そしてサイドボードのRY25やRY26も圧巻。なにひとつ無駄なものがなくて、何年たってもデザインが古びないとはこういうものを指すのだと心から思う。

 

そこからスタートして、興味の対象は北欧のデザインへと広がった。いままで何の気なしに見ていて「かっこいいなぁ」と思っていた程度のものが、実は北欧の国で生まれたものだと最近気づいた、というものがたくさんある。北欧のデザインにピンとくるアンテナが、昔からあったのだろうか。

 

デンマークのデザイナー、アルネ・ヤコブセンを最初に知ったのは、いつのころか忘れてしまったけれど、最初はそれほど気にならなかった。デンマークの人であることもしらなかった。「バンカーズウォッチ」を見た時だって、12個の小さな四角形のうちの一つが黒く塗りつぶされたデザインを、シンプルだなぁくらいにしか思っていなかった。しかし、ハンス・J・ウェグナーからアルヴァ・アアルト、ヤコブ・イェンセンと興味が広がっていくうちに、ようやく注目するようになる。そうか、アントチェアやセブンチェアをデザインした人なのか、といまさら言ったら、大学で建築を勉強したということを笑われるだろう。

 

黒く塗りつぶされた四角形の並びを遠くから眺めると、らせんを描くように、スーっと時間が流れていく感覚を味わえる。時間を確認するたびに、この不思議な感覚を意識できるなんて、素敵なことだ。

 

自分にとって良いデザインとは、第一印象で「これはかっこいい!」とビックリし、その魅力に一瞬でのめり込んでしまうようなものよりも、最初はそれほど印象に残るものではなかったのだけれど、何度か見るうちに「あれっ、これ、好きかも」と思うようになり、だんだんその魅力にハマっていく、というものにあるのかもしれない。10年20年、そしてそれ以上、と永く使うことができるものとの出会いは、きっと衝撃的な一目惚れではなく、時間を経て徐々に好きになっていく、その時間経過がもたらしてくれるのだと思った。

 

I:伊坂幸太郎 -Isaka Kotaro-

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今思うと、よくそれで勉強してこれたな、と心配になるくらい、読書をしない子供だった。学校の図書室で本を借りた記憶というのが、ほとんどない。本を読んで感動して、人生のバイブルに出会った、とかそんな美しいエピソードもなく、ただ下手なりに剣道部で汗を流し続けていたわけだ。

 

ましてやフィクションなんて。小説の楽しみ方が分かったのなんてここ数年の話だと思う。それを読んでどうなるというのだ、何が面白いんだ、とひねくれものは考えていた。

 

きっかけは忘れてしまったけれど、彼の作品を読むようになってから、小説が自分の人生に違和感なく馴染むようになったと思う。仕事のない休日に。その世界にどっぷり浸かることが、リフレッシュになるのだということを、彼の小説から学んだ。

 

「殺し屋小説」というジャンルが果たしてあるのかは知らないけれど、この双子はとくに面白い。1人称がめまぐるしく入れ替わる彼ならではの手法によって、格闘シーンをさまざまな角度から描く。この双子が三つ子、四つ子と数を増やし、本当に「伊坂幸太郎の殺し屋小説」として確立されるようになったら、いいなぁ。

 

いまは「サブマリン」を読み始めたところ。テキトー男の陣内さんが今度は何を語るのか?いまから、楽しみ。

 

好きな小説家さんに出会えて、よかった。気分としてどうにも読み進める気にならない時もあるのだけれど、読み始めると時間を忘れて読み進められる小説だ。

 

H:星野源 -Hoshino Gen-

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youtubeで「オトナの!」を観ている時期に、出会った。OKAMOTO’Sのハマ・オカモト君と一緒に出ていて、良いお兄さん感を出していたけれど、自ら自分のことを「ちゃんとしていない」と言い、10歳年下のハマ・オカモト君のことを「しっかりしているんですよ」と言う。あぁ、なんて謙虚な人なんだろう。しかしそれがただの謙遜ではなく、本当に「抜けている」方であるということを、後に彼のエッセイで知る。へぇ、そういう方だったんだ・・・

 

しかし、そういう一面を見て彼に幻滅したのかというと、そんなことは決してなく、むしろそういう一面を見たことがきっかけで、彼を好きになり、彼の曲を聴こうと思うようになった。本も2冊買い、笑いながら読んでいる。「文筆家」という肩書きが名ばかりなどではなく、本当に文筆家なんだ、と思わせるきれいな文章が、そこにあった。

 

心のどこかで、私自身の抜けているところと重ね合わせて、共感してるのかもしれない。こうやって活躍し続けている彼でさえこのような一面があるのだと思えば、自分自身のダメさに対しても、帳消しとまではいかなくても、まぁそれでもいいじゃん、だって人間だもの、と思えてくる。彼は私のダメさを正当化し、励ましてくれる貴重な存在なんだ。

 

働き続けるという彼の意欲は、決してダメな男からのものではなく、尊敬に値する。そういうところは、素直にかっこいいと思うし、真似したいとも思う。

 

G:銀座 -Ginza-

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銀座が好きだ、なんて言ったら、なんてオトナな男なんだろう、なんてシブい遊び人なんだろう、なんて思われるかもしれないけれど、それは違う。いわゆる大人の社交場、飲み屋や鮨屋に行きつけているのかというと、そんなことはない(というか、一度も行ったことがない)。そういう大人の街、銀座という楽しみ方は、決してしていない。

 

大きく三つ。

1.行きつけのマッサージ店が、通勤途中である銀座にたまたまあったから

2.それきっかけで銀座に行った時にお気に入りの喫茶店ができたから

3.節目で何か大きめな買い物をする時に行った店が、三越だったから

こういう理由で、たまたま銀座が馴染みのある街になった、に過ぎない。だから行く店以外はあんまり行かないし、道も詳しくはない。でも、人ごみが苦手な自分であっても、銀座は、それほど歩いていて嫌悪感を抱かないんだ。きっと、仮にその高級感が自分にそぐわないにしても、漂っている空気に統一感があって、ちょっと気が引き締まるからだ。

 

銀座といえばこれ。すばらしくおしゃれな文房具がたくさん並ぶ伊東屋は、自分にとって宝箱のような店だ。写真はリニューアルオープン前に訪れたときのもの。階段を昇って何階へ行っても、ずらっと並ぶ文房具の数々に、文房具の無限の可能性を感じた。普段何気なく使っているものに、愛を込めること。それだけで毎日のなにげないことが、楽しく、ワクワクするものになる。そんな文房具との付き合い方を、私は伊東屋から教わった。文房具が好きになったのは、伊東屋のおかげだ。

 

そういえば、先日友人の結婚式に行った後、久しぶりに会った仲間と飲んだ場所が、銀座だった。有楽町とか、日比谷と言ったほうが、近いか。とにかく、その地名が持つイメージとは少し離れた、なかなか庶民的な飲み屋だった。おしゃれな文具屋に、昔ながらの飲み屋。私にとっての銀座とは、全く違う空気が同居している、複雑で面白い街だ。

 

F:FAKE?

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思い出すのは、決まって、大学時代だ。大学への入学と時をほぼ同じくして彼らは動き始め、そして、暴れまわった。LUNA SEAを失った私が彼らにすがるのは、必然だった。

 

大学時代、入っていたクラシックギターのサークルで、自分のギターケースに、蜘蛛のシルエットの缶バッジをつけ、自分らしさを出していた。この象徴的なシルエットが、何を意味していたのかは今を持ってしてもわからないけれど、そのミステリアスな印象が、彼らを特徴づけていたように思う。曲は激しく、ゴリゴリに音は歪み、英語詞をぶちまけるように歌う。LUNA SEAでは見られないINORANを見ることが出来るのだ、と思うと、また興奮した。特別変わったことをしているわけではないのだけれど、それでも曲の大半の主導権を彼のギターサウンドが握っているのだと思うと、また興奮した。

 

INORANが抜けて、LUNA SEAが再起動したことを機に、KEN LLOYDの曲をほとんど聴かなくなってしまった。きっと私は、純粋にFAKE?が好きだったのではなく、LUNA SEA亡き後のINORANの動向が気になっていただけだったのかもしれない。彼らの音楽を聴くことで、その寂しさを紛らわせたかったのかもしれない。

 

彼らの音楽は、現在進行形で私を潤してくれる存在、というとちょっと違う。一時の時代、特に、水を吸収するスポンジのごとく、勉強に限らず多くのことを取り入れて自己を形成した大学時代を、実りあるものにしてくれた立役者なのだ。

 

大学の図書館で、彼らの音楽をイヤホンで聴きながら机に伏せて寝ていたら、金縛りにあった。あの魔法の謎は、いまだに、解けない。

 

E:エクセルシオールカフェ -EXCELSIOR CAFFE-

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数あるカフェチェーンのなかで、自分に一番なじみがあり、自分にとってのストーリーがあり、パッと快適なイメージが思い浮かぶのが、エクセルシオールだ。

 

事務所のすぐ近く、駅前のエクセルシオールに、朝入るのが、良い。7時くらいから空いているので、朝早く行って、まだ通行人で賑わう前の静かな空間を、味わうことができる。事務所の近くという点のほかに、静かにのんびりできるという点で、行きやすい。ただ静かで快適な喫茶店、ということだと、それはドトールでもスターバックスでもいいじゃないか、ということになる。だけど、自宅から仕事場までの経路の中で、確実にその存在感を示しているのが、エクセルシオールなのだ。

 

前職で。満員電車に乗るのが嫌だったので、とにかく朝早く起きて、すいてる間に電車に乗って、駅へ向かった。そのまま事務所へ行こうとしても、早すぎて入れない。そこでお世話になったのが、7時には空いてるこの喫茶店。ここでコーヒーとサンドイッチを頼み、カッコつけて本を読んだり新聞を読んだりする。まわりはだいたい同じように朝早く起きてるビジネスマン。そんな、ちょっとひんやりするような、でも入りやすい雰囲気の中、業務開始までの数十分を満喫したものだ。冒頭の写真はエクセルシオールではないのだが、このように、朝のちょっと眠たい目で、マグカップの中に浮かぶあたたかいコーヒーを眺めながら、ぼーっと、のんびりと過ごした時間が、非常に有意義だった。みんなが寝てるかもしくは満員電車に揺られている間に、自分は早く来てゆっくりしてるぜ、という優越感が味わえた。

 

最近はもっぱら、ダージリン。コーヒーももちろん好きだけど、一旦コーヒーから離れてみることも大事かな、なんて思って紅茶へと行ってみる。きれいなお姉さんが入れてくれるダージリンを飲みながら、あとは本を読んでもよし、寝るもよし、仕事についてあーだこーだ考えるのもよし。こういう自由で気楽な時間を、意識して確保する必要があるのだ。

 

コーヒーや紅茶を味わいながら、自分がいま何をすべきか、何について考えなければいけないのか、そういったことに想いを巡らせる時間を、自らつくりたい。そんなことを考えていたら、それは別に喫茶店じゃなくてもいい、という結論にたどり着いた。

D:デパペペ -DEPAPEPE-

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 彼らの曲を聴きながら、書いている。

 

LUNA SEAきっかけでツインギターに魅せられて以降、いろいろなツインギターの形を聴きかじってきたが、アコギ2本だけで創られる、こんなにも広がりのある世界を知れたのは、画期的だった。役割分担がしっかりしていて、しかもその役割に縛られるんじゃなくて、縦横無尽に立場が入れ替わる。そういう柔軟性が、素敵だな、と思った。

 

 

思い出すのは、大学時代、インターンで大阪に勉強をしに行った時のこと。おじゃましたまちづくりNPOの事務所のラジオで、この曲がよくかかっていたっけ。「シュプール」とは、雪の積もったところにできるスキーの跡。「轍(わだち)」といえば今は分かるが、当時はその跡を表現する言葉があることを知らなかったのではなかろうか。冬の寒さと、大阪の方々の暖かさの両方を感じた、素敵な時間だった。

 

 

1年前、二週連続で大雪が降ったとき。身近な、大事な人を失った時と重なり、あんまり思い出したくはないのであるが、ふっと力が抜けた時に当時を思い出すと、めったに車が通らない田舎道の真っ白な景色と、この曲が、頭に浮かぶ。道路なのに、シュプールすらない、道路。今年はまだ、静かに、まわりの音すらもかき消してしまうように降り積もる、そんな雪を、見てないな。

 

C:クラシックギター -classic guitar-

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大学時代から、お世話になっている。大学時代の、数々の楽しい思い出を私に運んでくれた、立役者といってもいい。ただでさえ、友達作りがヘタな自分。もし彼と出会わなかったとしたら、根暗な大学生活を送っていたに違いない。初めて部室の門を叩いたときのあの勇気が、当時の私にあってよかったと思う。門を開けたとたん視界に飛び込んできた、先輩がテレビゲームに熱中している光景に、拍子抜けしたのも、いまとなってはいい思い出。

 

 

クラシックギターで弾くといったらこれ、という王道の曲を、誰からともなく教えてもらって知った。「禁じられた遊び」というフランス映画で使われているらしいその曲は、右手は4本の指を交互にまんべんなく使う、非常に難しい指使い。しかし、それができなければギターアンサンブルの名は名乗れん!とばかりに、練習していたのを思い出す。4年生の時だったか、インターンシップで訪れた大阪は箕面市で、おじいちゃんおばあちゃんがたの前で披露する機会に恵まれ、たどたどしくも演奏した時のビミョーな反応が、いまのぼくを確実に形作っているのだろう。

 

 

一方、シンプルで、比較的簡単にでき、かつ、リズミカルに弾くのは結構難しい、というのが、LUNA SEAの「SHINE」。アコギ譜をずいぶん昔に買って以来、この曲ばっか練習している。松浦弥太郎さんが、何十年スパンで確実に弾けるように練習する、と言っていたように、一応一通り弾ける、というレベルではダメで、もう誰が聞いても非の打ち所がない、達人レベルまで行けるように、時間をかけて練習したいなぁと、思う。

 

 

大学時代は彼を抱えて1年に一度、浦和の舞台で緊張しながら演奏会を行った。特に思い出に残っているのが、4年の時の、つまりは最後の定期演奏会での、第九である。王道過ぎて逆に選曲しないだろうと思うくらいの曲を持ってきた、プロかと思うくらい上手い仲間Yは、きっと確信犯に違いない。クラシックギターのように音が伸びない楽器で演奏しても、迫力が出ないんじゃないか、あれは合唱があるからこそすごいんじゃないか、なんて最初は思ったけれど、練習していくうちにその奥深さに触れ、徐々に飲み込まれていった。それなりに達成感の残る演奏が出来たと思う。だから、youtubeで、街中で突然第九の演奏が始まるフラッシュモブの映像を見たりすると、第九の迫力に気圧されるのと同時に、大学時代の、定期演奏会の心地よい緊張感を思い出すんだ。 

B:ブラスト!-blast-

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主に夏、私の心を躍らせてくれる、衝撃のパフォーマンス。もともと、娯楽といえば、好きなロックバンドの曲ばかり聴いていた、つまりは、音楽が自分にとっての娯楽の全てであった、そんな私が、音楽以外のエンターテイメントに初めて足を踏み込んだのが、この「ブラスト!」だったように思う。

 

日本人パーカッションプレイヤー・石川直さんとの掛け合いが楽しめる「バッテリーバトル」は特に圧巻だ。相棒を務める外国人プレイヤーは、超小刻みに太鼓をたたくそのスティックをそのまま耳に乗せるなど、そのスーパートリッキーな技術で観る者を驚かせる。それに対し石川さんは、超速ながらも終始同じリズムを刻み、聴衆に安心感を与える。コミカルな演技(観客(おそらく女性)に名刺を渡して「電話してね」と手を耳にやるしぐさ)でふと和ませたと思えば、隙をついて突進してくる相棒と火花を散らせながら格闘する。その二人のスタイルの対比が、本当に面白い。

 

ドラムと、金管楽器と、バトンなどのビジュアルアンサンブル。これらがひとつになった時の一体感は、バンドの演奏を聴くのとはまた違う、興奮というか、感動が得られるように思う。他のもので形容することができない、唯一無二のエンターテイメントだと思う。

 

数年前は、2日連続で行くほどだったのに、今年の夏は、タイミングがあわず観に行けなかった。いや、タイミングがあわず、というのは言い訳だ。デートで誘った女の子にその後振られるという、できることなら思い出したくない負の思い出もあって、今年は少し距離を置いていたのかもしれない。女の子の心を射止めるという、本来自分が努力してすべきことを、彼らの超絶パフォーマンスに委ねてしまった自分が悪いのだ。

 

A:安藤 -ando-

 

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この苗字、結構気に入っている。決して、同じ苗字の世界的有名な建築家がいらっしゃるから、というだけではない。

 

 

電話とかで、自分の苗字の漢字を説明するときが面白い。

 

「安藤です。フツーの安藤です」と言えばだいたい分かってもらえるから、それなりにポピュラーな苗字なんだな、別に地元の集落だけに集中的に存在する特殊な苗字ではないんだな、と安心できる(実際、実家の近くにはたくさんの「安藤さん」がいらっしゃる)。それでも、「安東さん」だっていらっしゃるし、「安堂さん」もいらっしゃるかもしれない。だから口で説明するときは、「『安心』の安に『藤(ふじ)』です」と言う。と、ほぼ伝わる。ここで「安心」と言うのには理由がある。もちろん安心してお付き合いできる人間ですよ、という意図があるからだ。それでも、もしかしたら「安全」と言ったほうが、安全な人間だと思われて良いだろうか、とか、「安定」と言ったほうが、安定した人間だと思われて良いだろうか、とかいろいろ模索してしまうのが、私の悪い癖。間違っても「『安い』の安に・・・」なんて言ってはならない。安い人間だと思われてしまう。

 

 

それなりにポピュラーな苗字で、と先ほど言ったが、それを確信したきっかけがある。複数の小説や漫画で、「安藤」という登場人物に出くわしたからだ。

 

大好きな伊坂幸太郎さんの小説「魔王」の主人公が「安藤」だし、先日、そろそろこの作家さんの本を読まなければ、と思って手にとった宮部みゆきさんの「レベル7」にも「安藤」が出てきた。漫画で言えば、大好きな格闘漫画「刃牙」にも安藤がでてくる。こうやって本の中にでてくるのを見ると、なぜか嬉しくなる。